【ポケモン】ねっとう=「Scald」?わざの翻訳についての私見
どうも、マツバと申します。YouTubeにて主にポケモン対戦動画を投稿しています。
先日Twitter上で「ねっとう→Scald」と翻訳することについて交わしたやり取りを通じて、浮かんだ考えを記事としてまとめることにしました。例として英語訳の話題を挙げてはいるものの、カタコトすら覚束ない筆者の英語力に加えて稚拙な文章ではありますがお付き合いください。
またゲーム上に登場する「わざ」名称の表記についてはポケモンが扱うものとして区別し、漢字を使わず表記させていただきます。
以下常体
○わざの翻訳の分類
以下の3つに大きく分けられると思われる。
1.直訳、またはそれに近い形で訳されたもの
例)
・じしん(Earthquake)
・かえんほうしゃ(Flamethrower)
・ハサミギロチン(Guillotine)
※考案者のギヨタン博士が由来
2.類義語を用いて意訳したもの
例)
・ねっとう(Scald)※後ほど詳しく述べる
・いのちがけ(Final Gambit)
※gambit=(チェスで盤面を有利にするために捨て駒を使う)序盤の手
・ちょうのまい(Quiver Dance)
※quiver=(動物が羽・触角などを小刻みに)震えさせる,振動させる
3.表現上差し支えない範囲で別語に置き換えたもの
例)
・だいもんじ(Fire Blast)
・つばめがえし(Aerial Ace)
・とんぼがえり(U-turn)
※日本固有の事象・慣用句などを語源とするもの。直訳だと意味が通じない可能性が高い
○「ねっとう=Scald」の考察
前置きとして経緯を述べるが、この話題の発端は実力・実績のある界隈では著名な某ポケモンプレイヤーである。彼は当時オーストラリアに留学中とのことだったが、当初「英語ロムをやれば英語の勉強になると思っていたのに」などとツイートするあたり、相当な苦労がうかがえる。その貴重な体験を己が糧としてさらなる飛躍を遂げることを願うばかりだ。
そんな彼を余計な議論で煩わせるのは気が引けたため、Twitter上でのやり取りは必要最低限に留め、個人的に展開してみようと思う。
それでは本題に移ろう。
ポケモンのゲーム上では「ねっとう」は英語で「Scald」と表現されている。
まず「ねっとう」とは何か。言わずもがなねっとうとは「熱湯」すなわち沸騰したお湯のことを表す。
一方英語では「boiled water」。
ん?
scaldじゃないやん!
と思ったそこのあなた。その反応は正しい。
scaldとは「(熱湯や湯気で)やけどさせる」意味を持つ単語であるため、熱湯という"もの"を表すのであれば「boiled water」で解決ではある。
しかしわざ「ねっとう」の説明文にはこうある。
「熱く 煮えたぎる 水を 相手に 発射して 攻撃する。やけど状態に することが ある。」
まあ、わざの説明としては申し分ない。
そう、「ねっとう」とは"わざ"。ただ熱湯がそこに置いてあるのとはわけが違う。
ここからは言葉の概念ということについて掘り下げていく。
そもそも言葉の中にはその概念や状況をより正確に表すのに適した単語というものが存在する。
例を挙げれば「湯」。この一字だけで"水が熱せられた状態"を表すことができる。温度に関して「水」よりもより詳しい表現ができている。さらに温度が高い状態を強調したければそれこそ「熱湯」とすればよい。
それを踏まえると今回の「ねっとう」の場合は、わざの説明にある「熱湯で攻撃し、やけどさせる」状況に当てはまる単語を両者の言語から選択すればよいことになる。
日本語の場合には単純に「ねっとう」でよい。何故ならば日本語には"熱湯でやけどさせる"意味を持つ単語がないから。この記事の中ですでに何回も「熱湯でやけどさせる」と表記していることからこれは明白である。あとは慣用句に「煮え湯を飲まされる」というものがあるため、その状況を想像しやすいという事情があるのかもしれない。タブンネ
英語の場合は「scald」という適当な単語があるのでそのまま当てはめたということだろう。
例の彼はしきりに"やけどさせる"意味合いが「ねっとう」に相応しくないと固執していた節があるので敢えて述べるが、英語における表現においては火によるやけど(=burn)と熱湯によるやけどは違う。さらに言えば単なる熱によるやけど(=thermal injury:熱損傷)というのも存在する。しつこいようだが最も適した単語を使用したに過ぎないのだ。
物事を一面だけで捉えて判断すると自ら見識を狭めることになりかねない。
○まとめ
ポケモンのわざの別言語への翻訳について、「ねっとう」を例に簡潔ながら私見を述べさせてもらった。このような議論はゲーム開発陣の領分であることは重々承知の上だが、自分の中の言語やポケモンに対する見識を深める一助にはなったと思う。
話が飛躍するかもしれないが、言語とは古来からある表現の手段であり、また時代とともに移り変わるものである。通信手段が手紙、電話、メールなどと時代が進むにつれ変わっていったように、これからの未来には今までにない事象が生まれてそれを表現する新しい言語が生まれてくることだろう。
いつの時代・どの言語であっても言えることだが、重要なのは言葉の中に秘められた物事の本質を理解することだと思う。あくまでも言語とは己の中の概念を他者へと表現する手段、そしてその結果の集合体にすぎないのだから。ふわふわとして不安定で我々には感知することが難しい概念に形を与えるものなのだ。
小難しいことをぐだぐだ言っているが、結論としては「ねっとう」と「Scald」はそれぞれの言語において本質的に同じことを表現しているからこれでいいのだ、ということ。
自分の中での議論は尽きませんが、あまり気を取られていると他のことに手がつかないのでこの辺りで筆を置くこととします。
何か質問・ご指摘がありましたら是非ともよろしくお願いします。Twitter→@gemforjinro
それでは。
※追記
例の彼の当該ツイートは記事投稿前に削除されてました。一定の理解はしてもらえたと信じます。